あの時見たオレンジ(3)

シンのように流暢な会話をすることもできなかったし、
気の利いたことをできたわけでもなかった。

それでもチェギョンは不思議とこの会食を楽しむことができた。
チェ尚宮の根気ある特訓のおかげで、慌てるようなこともなくなったし、
シンと冗談を言い合っていたから、幾分緊張感も和らいだ。

そして何よりも同じテーブルで同じものを食べて「おいしい」と言えることは
言葉を超えるコミュニケーションだったし、
誠意や気持ちが相手に伝わることが、とてつもなく嬉しいと思えた。


会食が終わった席でその人はチェギョンに近づき、笑顔で握手を求める。


「妃殿下にお会いできて感激です。大ファンなの!」


自分の母親よりも少し若いくらいの皇太子妃は、
夫に嬉しそうな笑顔を見せると「あとで一緒に写真を」と興奮した声をあげる。

欧州のとある国で、皇太子を務めるその人は穏やかでかつ厳粛な雰囲気を持ち、
妻の喜びを頷きながら受け止めていた。
シンもチェギョンもまさかの先方の挨拶に顔を見合わせて驚く。


「驚かせてしまって、申し訳ありません。
妃はチェギョン妃殿下のファンで、昨晩もホテルに置いてあった雑誌を見て
大はしゃぎだったんですよ」

皇太子は恥ずかしそうに笑うと皇太子妃が続けた。


「若い方が読まれる雑誌だと思うのですが、チェギョン妃殿下が
“理想の女性ランキングトップ10”にランキングされていて・・・
若い女性が読む雑誌の中でアイドル歌手の中に混ざって入っているんですもの。
将来の国母として頼もしいですわね、殿下」


シンとチェギョンが顔を見合わせるとコン内官が頭を下げながら
1冊の雑誌を持って来た。

皇室では決して読むことのないような派手な表紙のティーン誌。
そういえばチェギョンも中学生の頃、読んでいたことがあり、
雑誌に出てくるアイドルに友人たちとキャーキャー騒いでいたこともある。

「好かれる理由の1位は明るくて元気、2位は訪問先での優しい振る舞い、
3位は所作が美しい・・・今、一緒にお食事をしてそれを本当に感じましたよ」


皇太子妃はそういって微笑むともう一度雑誌に目を移す。


「おまえ人気あるな」


「全然知らなかったわ」


シンとチェギョンが囁きあっている姿を見て2人は目を細める。


「きっと努力されたのね。
私も民間出身なのであなたのお気持ち理解できるわ。頑張ってね」


皇太子妃はチェギョンに微笑む。
その笑顔を見たら、涙が猛スピードであがってきた。


“人前で涙を見せてはなりません”


その時、頭の片隅でチェ尚宮の声が響く。
チェギョンは深呼吸をすると、その顔を誤魔化すように深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。私が今、ここにいられるのは・・・
すべて、私の教育をしてくれる彼女のおかげなんです」


チェギョンは入り口で控えていたチェ尚宮に視線を向ける。
その視線を追うように一斉に皆に顔を向けられて、
チェ尚宮は不思議そうな表情でこちらを見た。


「チェギョン妃殿下。やっぱり、思った通りの方だったわ。
周囲に感謝の気持ちを表すことのできる、とても心の綺麗な女性ですね。
今度は私たちの国にもいらしてください」


皇太子妃の言葉にチェギョンは笑顔で頷き、隣のシンを見る。

― そうだよ、おまえが勝負できるのはその気持ちと度胸だよ。

シンは心の中で呟くと皇太子妃夫妻に礼を述べて、挨拶をした。


*******


「んーっ」


見送った皇太子夫妻の姿が見えなくなると、
チェギョンは、表情筋を緩めながら、空気が抜けたように伸びをした。

すっかり油断した表情で口を開けるチェギョンに
これを見ても、国民はチェギョンを理想の女性と言うのだろうかと
シンは苦笑いをする。


「あ、シンくん」


シンが部屋に戻ろうとチェギョンの手に触れようとしたその瞬間、
チェギョンが思い出したように立ち止まる。


「ちょっと、寄り道したいんだ。チェ尚宮のところ」


「どうした?」


「お礼を・・・今日のお礼を言っておかないと」


チェギョンはシンにそう微笑むとコツコツと踵を鳴らして控室へ向った。
クリーム色のワンピースがゆらゆらと揺れ、差し込む夕陽がそれを照らす。
シンはそれに誘われるようにチェギョンの後をゆっくりと追った。


「お姉さん!ありがとう!!」


突然のチェギョンの登場にチェ尚宮は一瞬驚きの表情を見せたが
すぐに立ち上がり、頭を深く下げた。


「妃宮様が努力されたことが形になられて、私も嬉しく思います」


「全部チェ尚宮のおかげよ。いつもありがとう」


チェギョンがそう微笑むとチェ尚宮は少しだけ表情を崩す。
自分が仕えている方はやはり国母になるべき人だと、チェ尚宮は改めて思った。


「本当だ。俺の言うことはロクに聞かないのにチェ尚宮の言葉には
素直に従うんだからな」


扉の後ろからシンの声が聞こえ、2人は同時に振り返った。
深々と頭を下げるチェ尚宮とは対照的にチェギョンは納得のいかない顔で
シンを見上げる。


「妃宮が宮内で一番信用しているのはチェ尚宮、あなただと思います。
いろいろワガママで危なっかしいところばかりですが、これからもよろ・・・」

「ちょっと、シンくん。いつから私のパパになったのよ!」

「誰がパパだっ!だいたいおまえはいつも・・・」


シンが売られた言葉に応酬しかけた時、チェギョンが自分の肩越しに視線をずらす。
話の途中に何なんだよと思いながらも、シンはチェギョンの視線の先を追った。


「妃宮様の教育係を担当できたこと、誇りに思っております」


彼女は眩しいほどの笑顔を見せた。
どんな時にでも表情を変えることなどない、あのチェ尚宮が。


確かに彼女はいつもとは違う笑顔を見せた。

夕陽がまるで後光のように彼女を照らす。


しかし、再度深々と頭を下げたチェ尚宮が顔をあげると
そこにはいつものようにキリっとした厳しい表情の顔に戻っていた。

シンはその姿に口元をあげ、チェギョンは瞳をうるませ空を見上げた。
チェギョンにつられてシンもチェ尚宮も同じように視線を上げる。


「お姉さん、今日の空の色は、あの時見たオレンジ色によく似ているね。
こんな空が見えた時はお姉さんと過ごしたあの日のことを思い出すの!」


チェギョンがチェ尚宮に微笑むと彼女も同じように頷いた。

シンは目と目で会話をする2人を交互に見ながら、小さく笑う。


「あの時って・・・俺は仲間はずれか?」


「あの時見た空はお姉さんと私だけの思い出だもんねー」


チェギョンはそう言って、チェ尚宮に同意を求めるように首を傾けると
隣で少し拗ねるシンの手を握ってブンブンと振った。



orange1.jpg



<おわり>




:::あとがき:::

シンチェの99,999回目のキスに立ち会ってくださったゾロメ5のお1人、
Rinママさんのリクエストは

「シンくんとチェギョンが思っている以上に
チェギョンが国民に受け入れられ、人気があること」

「「She」の10話の最後のチェ尚官の言葉が嬉しかったので
チェギョンとチェ尚官の強い絆と信頼関係」

・・・このどちらかを〜

とのことでした。

そして、どうせなら・・・と2つ入れてみました(笑)。
私の個人的な事情で、リクエスト作品が遅くなり、本当に本当にごめんなさいっ。
リクエストを叶えられたか心配ですが、どうぞお受け取りくださいませ!

出会った当初はチェギョンの無茶な振る舞いにぐったりしていたと思われるチェ尚宮。
それでもドラマでは、チェギョンの恋の悩みに優しく相談に乗ってあげたり、
マカオではチェギョンに振り回されながらも、楽しそうでしたよね。

慣れてきたとは言え、まだまだ不安ばかりのチェギョンにとって
チェ尚宮は殿下とは違った意味での絶対的な信頼感がある存在だと思います。
そして、チェ尚宮もチェギョンの元で働くことに
喜びを感じているのではないかと・・・

聡明で優しいチェ尚宮。
これからも、まだまだな妃宮様をどうか守ってやってくださいませ☆

Rinママさん、リクエストありがとうございました。

みなさまにも素敵なときめきが訪れますようにxxx


kaho





あの時見たオレンジ(2)

「妃宮様の現状を見ると、とてもお妃教育が順調とは思えないのですが」


「少し甘やかしすぎたのではないですか」


静まり返るその部屋でチェ尚宮は複数の関係者から
一斉に視線を浴びていた。


「申し訳ございません。全て私の責任です」


月に1度行われる定例の会議。
今日の議題はチェギョンのお妃教育に対する進捗状況であり、
チェ尚宮は次から次に上がる悪意のある意見をただじっと聞いていた。

確かにチェギョンの妃としての言動に改めさせなければと思うことも多かったが、
この場で出される意見はほとんどが言いがかりに近いようなことばかりだ。

まだまだチェギョンには学んでもらわなければいけないことは多くあったが、
皇太弟妃として一番大切だと思われる温かい気持ちは持っているし、
抜群のコミュニケーション力は天才的だと常々思っている。
だから、少しの失敗でチェギョンの人格すべてを否定されるのは
チェ尚宮とて許しがたいことだった。

しかしながら、彼らに反論したところで何かが生まれる訳ではない。
そして、チェギョンが宮家に来てから数年経つのに、
未だこのような話が持ち上がってしまうのは自分の責任に他ならない。
チェ尚宮は自分への責任という点においては大いに反省をした。


「皆さん、落ち着きなさい。
否定ばかりでは何も生まれません」


ざわつく部屋に落ち着いたコン内官の声が響く。
コン内官はチェ尚宮に視線を向けると無言で頷いた。


「来週の会食は極めて重要なものです。頼みますよ、チェ尚宮」


その短い言葉には様々な意味が込められていた。
ひそひそと話していた参加者たちも一斉に口をつぐむ。
チェ尚宮は深く頭を下げ、チェギョンのことを思った。


*******


引き出しのノートを開くと懐かしい香りがした。
勉強が嫌で逃げ出してばかりいたあの頃。

ここに面倒くさそうに書き綴られている事柄は
あの頃はさっぱりだったのに、今は普通に理解できることばかり。

自由を奪われたと思っていたし、古い宮家の教育なんて
何の意味があるのかって本気で腹も立っていたけれど、
無駄なことなんか何ひとつなかった。

新しく何かを始めるにも現状を理解しなければ提案もできないし、
何よりも宮を守るためには全て必要なことだった。

完璧じゃない自分だから、教育は必要なんだって思えた。
そう思えたのはマカオでチェ尚宮と過ごしていた頃だった気がする。

未だに勉強は好きじゃないし、逃げ出したくもなるけれど
それでも辞めたいとは考えなくなった。
自分らしくなるのは嫌だけど、成長していくのは楽しかった。


「うん、やっぱりもう一度教えてもらおう。
チェ尚宮だったら何度でも付き合ってくれるもんね!」


“落ち込んでいるのは私らしくない!”
チェギョンはノートを抱えると廊下へ向って飛び出す。

― 自分から勉強を教えて欲しいなんて言ったら
チェ尚宮のクールな表情を少しだけ崩すことができるかな?ふふ♪

いつだって表情ひとつ崩さないでチェギョンを見るその顔を思い出して
チェギョンは廊下の角を曲がろうと少しだけ歩きを緩めると、
その奥から王族会の見慣れたメンバーの声を聞いた。
確か、シンやチェギョンに対してはあまり良い印象を持っていなかった人たちだ。
近づかない方が身のためだと、バレないように、そっとまわれ右をする。


「チェ尚宮にも同情するわよね」


「優秀な尚宮だけど、相手が悪い」


「育ちの悪さまで直せだなんて無理な話だろう」


「まあ、あれにはあまり期待をしないでいいだろう。
あれは世継ぎ用の存在なんだ。民間人に知性を求めるのが間違っとる」


クスクスと湿った笑いが聞こえた。

チェギョンは急いでその場を跡にできなかった自分を後悔した。


― 世継ぎ用の存在?


少しでもシンの力になりたくて、
「宮」の家族として生きていきたくて、
そう思って頑張ろうと決めたのに、
未だにここでの存在価値は世継ぎのため・・・

そう聞かされたチェギョンは足に接着剤を付けられたかのように
その場を動くことができなかった。


「わ、わたし・・・」


大粒の涙が床に一粒、落ちかけた時。

庭園の木々の葉が全て落ちるのではないかというような
大きな声がそこに響き渡った。


「口を慎みなさい!!!」


角からそっと顔を出すとそこには鋭い目をしたチェ尚宮が
数人を相手に立っていた。

クールな表情を崩したらおもしろいのに・・・と思っていた。
だから、チェギョンの目的はある意味果たせたのに、
こんな形でそれを見るなんて思ってもいなかった。


「妃殿下を侮辱するような言葉、何があっても許しません」


出だしの声とは異なり、低く冷静な口調でチェ尚宮が言葉を続けると、
彼らはそそくさとその場を散っていった。

残ったチェ尚宮は一瞬目を伏せると、憂いを帯びた目で夕焼け空を見上げる。
その横顔を見たチェギョンの胸は締め付けられるように痛みが走った。


落とした涙は乾いていた。
心の中で様々な思いがめぐる。


チェギョンも同じように夕焼け空を見上げてみる。

「あの空は宮に続いている」

そう言っていつも2人で見上げたマカオの空のように
優しいオレンジ色が一面に渡っていた。


チェギョンは指先で口元をあげ、背筋をピンと伸ばした。
そしてゆっくりと歩みを進め、角を曲がる。


「チェ尚宮、探しちゃった!
今日のチェックでできなかったこと教えてほしいな・・・」


突然、現れたチェギョンの声にチェ尚宮は一瞬ハッとしたものの、
すぐにいつものように落ち着いた表情に戻り、一礼をした。


「どちらでしょうか、妃宮様」


チェギョンが期待するほどチェ尚宮は驚いてはくれなかったけれど、
それでもオレンジ色の空に見守られながら聞くチェ尚宮の声は
いつもより穏やかで優しいような気がした。


*******


会食を控え、女官たちが用意した服に着替えたチェギョンは
念入りに相手のデータをおさらいしていた。
それでも極度の緊張で、読んでいるそばから情報は頭から去っていく。
増えていく不安の中で、チェギョンは何度もこめかみを叩く。


「ジタバタするな。おまえにしては十分頑張っただろう」


シンはチェギョンからデータが書かれた書類を取り上げテーブルに置いた。

チェギョンがひどく落ち込んでいたあの日の夜、
話を聞こうとシンが少し早めに部屋に戻ると
チェギョンが部屋にこもって勉強をしていた。

そんな光景など、そうそう見られるものでもないので
シンは驚いて目をこすったが、チェギョンは「もう少し頑張るから先に寝てね」と
毎晩、シンのことが見えないかのように机に向っていたのだ。

コン内官から、チェギョンが原因でチェ尚宮まで
周囲から責められているという情報は聞いていた。
もしかしたらチェギョンの耳にそれが入ってしまったのではないかとも思ったが
知らなかったら、余計な情報になってしまうとシンは敢えてその話題を出さなかった。

ただ泣くだけではなく、努力して頑張っているチェギョンの姿に
心を打たれたりもするのだが、
少しも自分を頼ってくれないことに寂しさも感じる。

シンはチェギョンの横に座り、まだ不安気なその顔を見て噴き出した。


「な、何よっ。人の顔を見て笑うなんて!」


「おまえ、何て顔をしているんだ。
お客さまを笑わせる作戦なら話は別だが」


不機嫌なチェギョンにシンは手鏡を渡す。
チェギョンはシンを一睨みすると、渋々その鏡を受け取り
映し出されたその顔を見た。


下がった眉に、力のない瞳。
しっかりとメイクをしてもらったにも関わらず、どの角度から見ても
まったく覇気のない顔だった。


「自信のないことで悩むよりも、自信のあるところで勝負しろ」


シンはペチペチとチェギョンの頬を軽く叩く。


「自信のあるところ・・・。
ねぇ、私が自信を持っていいところってどこ?」


小さく笑って立ち上がったシンにチェギョンは尋ねる。


「ど、どこって・・・そんなの自分で考えろ!」


改めてチェギョンに尋ねられ、シンは急に今の状況が恥ずかしくなって
チェギョンの元から離れようとした。
それでもチェギョンの右手がシンのスーツの裾をギュっと掴み
前に進むことを許してくれない。


「引っ張るな、シワになるっ」


「じゃあさ、シンくんは何で勝負してるの?」


チェギョンも立ち上がり、まじまじとシンを見上げる。
清楚におろしてある黒髪から見え隠れする揺れるパールのイヤリングが
少し潤んだ瞳と良く似ていて、シンはいたく動揺する。
それなのに意地悪にきゅっとあがった口元が子どもっぽくて、
それでも艶のかかった唇はどう考えても大人の女性で、
その対比がまた悩ましいのだ。

その動揺が少しだけ伝わってしまったのか、
チェギョンは急に嬉しそうにニコニコと笑って、
さらにシンを見つめていた。

ここで負けてはいけないと、
シンはチェギョンに得意のプリンススマイルを披露しながら
表情を変えずに言う。


「見た目。知性。他にも・・・ありすぎて挙げられないな」


その言葉にチェギョンは引きつった笑いを見せ「ナルシスト!」と叫んだ。

「そんなに完璧なら私が何をやらかしても全部フォローしてよねっ」


いつものチェギョンに戻ってくれてシンは一安心する。
背中越しに聞こえる、止まない自分への悪態にシンは口元を上げた。






あの時見たオレンジ(1)

ただの女子高生だった時には
「高級料理をおなかいっぱい食べられたらどんなに幸せか」
なんて家族のみんなと真剣に話したものだ。

家計は火の車だったし、
フランス料理なんて一生縁のない料理だと本気で思っていた。

だからチェギョンは、今、改めて考える。

食事は何を食べるかではない。
誰と食べるかが重要だってことを ―


金色に縁取られた立派な食器が1ミリのズレも許されないように
きっちりと並べられていた。
シャンデリアの光がグラスに反射し、
その色は“透明よりも透明”と表現したくなるほど隙がない。

時計の針は12時半を示している。
豪華ランチだと知らされていたので、朝食は敢えて軽めにしておいた。
だから当然お腹はすいているはずなのに、
それさえも忘れるくらいの緊張が身を包む。
チェギョンは1点を見たままカチカチに固まり、立ち尽くした。


「では、来週の会食に向けてのチェックをさせていただきます」


チェ尚宮は深々と頭を下げると、
バインダーを広げてチェック表にペンを入れた。


「はぁ・・・」


チェギョンは眉を八の字にさせながら肩を落とすと、
渋々とテーブルまで近づく。


抜き打ちテストとでも言うべきなのだろう。
「豪華ランチ」と聞いて連れてこられたその会場は
「チェック」という名のテスト会場だった。

一般家庭出身のチェギョンはただでさえ、作法に自信はないのに、
今回は食事だけではなく、英会話やら来客へのもてなしやら
多くのことをこなさなければいけない。

この会食で粗相は許される訳はなく、
チェ尚宮もチェギョンの一挙一動に目を光らせていた。


「妃宮様。本番と同じように人員を配置しましたので、
会話をなさりながら、お食事をお願いします」


数人の女官たちは一礼をすると、首から担当役の札を下げ席に着く。
チェギョンはひきつった笑いを浮かべながら、
「よろしくお願いします」と頭を下げた。

ナフキンを広げて膝に置くだけでも緊張が走る。
思わず無口になって俯きそうになると、
正面に座っていた国賓役の女官が口を開いた。


「*◎▲□×$#?」


突然出てきた英語にチェギョンは思わず身を固め、
斜め後ろに待機していたチェ尚宮に視線を送る。


「妃宮様、本番を想定しておりますので、英語でお話ください」


助けを求めるチェギョンの声が出るまでもなく、
チェ尚宮は涼しくそう答えると、またバインダーの表に何かを記入し始めた。


「えーん、まだ一口も食べていないのにもうお腹いっぱいよぅ」


チェギョンは泣きそうになりながらも、
講義で習った知識を懸命に思い出しながら、震える手でグラスを持った。


*******


部屋に戻ったチェギョンは、そのままソファにダイブし、
クッションに顔を埋めていた。
頬に広がる肌触りのよい生地が、また気分を一層落ち込ませる。


「朝から楽しみにしていたフランス料理は美味かったか?」


シンが大学から戻ってきたのだと
チェギョンはチラリとその姿を確認すると
ため息で返事をするように顔を伏せて黙りこんだ。


「何だよ、ランチが豪勢だってあんなに嬉しそうだったのに」


シンの言葉にチェギョンはなおも無言になったまま、
足をバタつかせてやりきれない思いを発散させる。


「おい、激しく足を動かすな。スカートが捲くれあがるだろう」


春らしいパステルグリーンのフレアスカートが
チェギョンの動きに合わせてひらひらと上にあがっていく。
シンは顔を片手で覆いながら、ブランケットを投げた。


「ここにいる時くらい自由にさせてよ。
肩も脚もパンパンなの。ああ、下にジャージはこうかな」


チェギョンは力なく立ち上がると、独り言のように呟き、
のろのろとクローゼットまで歩き出す。
そこまでして足をバタつかせたいのかと、
シンはチェギョンの行動をまったく理解できないまま、様子を伺った。

チェギョンはクローゼットを開けると、ゴソゴソと衣装箱を探し始めた。
高校生の時はどんなに注意されようと穿いていたスカートの下のジャージも
最近ではすっかりご無沙汰をしている。


「あった!」


久方ぶりに再会したジャージをチェギョンは広げると、
自分の身にそれを合わせて満足気に微笑む。

ところが、足を通そうと身を屈めると急にその動きをやめ、
ぼんやりと天井を見上げた。


「どうしたんだよ」


半ば呆れながらもその行動を見ていたシンは
動きを止めたチェギョンを不思議に思いながら声をかける。


「・・・うん。やめた」


チェギョンはジャージを丁寧に畳むと
それを元あった場所にしまい、無言でクローゼットを閉める。

相変わらず、チェギョンの行動は予測不能だ。
ゆらゆら揺れながらベッドに座りこむチェギョンを
シンは珍しいものを見るように、見下ろした。


「チェ尚宮に注意されちゃう。だからもうジャージはやめるんだった」


チェギョンは問われた訳でもないのに、シンにそのことを伝えると
サイドテーブルに置かれたアルフレッドを手にして、また下を向く。


「失敗して叱られたか」


シンはチェギョンの隣に座ると
チェギョンが抱えているアルフレッドの蝶ネクタイを指で弾いた。

昨晩「今月のテーマは、“いいところのお坊ちゃま”なの」と
嬉しそうに新作の衣装を披露したチェギョンとはまるで別人だ。


「叱られた方が良かったわ。
チェ尚宮は何も言わないで私に謝ったの。
私が失敗すれば、それはみんなチェ尚宮のせいってことなんだよね・・・」


下を向いたままのチェギョンの背中をシンはゆっくりと叩く。
チェ尚宮の行動を想像すると
「大丈夫だ」などと気軽に言えない状況であることが想定され、
それでもチェギョンの落ち込みを何とかしなくてはいけなくもあった。


「殿下、そろそろお時間でございます」


何とかしなくてはいけない案が浮かぶ前に、コン内官がシンを迎えにきた。
チェギョンは「いいから行って」と目で合図を送る。


「行ってくるよ。戻ったら話をしよう」


チェギョンはシンの言葉に力なく頷いて見送ると
抱えていたアルフレッドに顔を近づける。


「よく考えたらキミもお坊ちゃまだったわよね」


自分の失敗ひとつでシンに迷惑がかかる。
いや、シンどころか宮家全体に迷惑がかかり、
そしてその教育を任されているチェ尚宮に関しては
強く責任が問われるに違いない。


「大好きな人たちを悲しませたくないのよ。どうしよう・・・」


チェギョンの呟きにアルフレッドはいつものように笑った。





おしらせ

こんにちは。
いつも「妄想の間」にお越しくださり、ありがとうございます。

100,000hit記念祭で99,999番を踏んでいただいたRinママさんからの
リクエスト作品、「あの時見たオレンジ」(全3話)を本日よりお届けします。

作品は完成しているので、3日連続更新の予定ですが
相変わらず更新時間は未定です。
レス等も遅くなる可能性がありますが、またお付き合いいただけると嬉しく思います。

それではどうぞよろしくお願いいたします。


kaho






リニューアルしました!

こんにちは。

お休みをいただいておりました「妄想の間」は
本日よりリニューアルオープンいたします!

パスワード制等、いろいろ考えたのですが、
当面はセキュリティ強化に力を入れ、オープン運営をすることにいたしました。
鍵コメは現状ではできなくなって申し訳ありませんが
ご理解いただけると嬉しく思います。
その分、みなさんが気軽にお話できるような雰囲気作りに努めますので
どうぞよろしくお願いいたします。

リニューアルに向けてテンプレ(ブログの背景画像)の変更も検討したのですが
小説用のテンプレはどうもイメージに合うものがなくて・・・
お話も増えて、読みづらくなっていますので、このあたりは随時、
より読みやすいように考えていきますね。

パッと見、何が変わったのかはわからない「妄想の間」ですが
今まで以上にシンチェへの愛を表現できればと思っています。

私も再出発。
ぜひ一緒に幸せな妄想を楽しんでくださいね!


kaho